秘色研究所

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炊飯器はいらないのではないかという話

炊飯器はいらないのではないか。

 

炊飯器はとても便利な家電だ。一家に一台と言えるくらいみんなが持っているし、自動でお米を炊けるのは確かに便利だ。忙しい家族の味方ともいうべき家電である。

 

でも、一人暮らしの家に本当に炊飯器は必要だろうか。

多くの人は「必要に決まってる」と思っているから炊飯器を買っているのだけれど、ぜひ決める前にこの記事を読んでみてほしい。一人暮らしの場合は「別にいらないかも…」と思えるかもしれない。

 

炊飯器の必要性を語るなら、炊飯器による恩恵をしっかり整理しなくてはいけない。

「恩恵なんて、自動で米を炊いてくれるコトに尽きるじゃないか。」と思われるかもしれないが、少し待ってほしい。

我々は本当に心から「自動で米を炊いてほしい」と願っているのだろうか。

 

僕はここで、「そんなにお米を自動で炊いてほしい訳じゃないな」と思った。もちろん、お米を自動で炊きたい欲求を持っている人もいるだろうが、少なくとも僕は違った。

 

それはたぶん、僕がお米を炊く頻度が少ないからだ。

一人暮らしの人は分かるかもしれないけど、たいていの場合一度にたくさんのお米を炊いておいて、しばらくはそれを冷凍したものストックして頂く。ストックが切れたら再びお米をたくさん炊く。

このようなお米サイクルを営んでいると、実はお米を炊く頻度はそんなに多くない。だから、「お米を炊く」という行為に「毎日のタスクの煩わしさ」というものは感じていない。

 

僕は、自動化の欲求っていうのはルーティンワークに求めたくなるものだと思っている。僕の場合、掃除や洗濯は毎日やりたいタイプなので可能な限り自動化を図っている。

でも、お米炊きはルーティンじゃなくて偶のイベントなのだから別に自動化の欲求は沸いてこないという訳だ。

 

これが大家族の料理当番で、毎朝決められたお米を炊かなきゃいけない立場だったら、僕は炊飯器を手放したりしないだろう。毎朝のルーティンを自動でこなしてくれるのはありがたい。全国の主婦の皆様も同じ心中であろうと予測する。

 

しかし、「お米は偶にしか炊かないよ」という一人暮らしの人や外食派の人にとってお米炊きの自動化はそこまで恩恵があるものじゃないと思う。

僕は「持ち物はなるべく少ない方がいい」と考える人間だけれど、そんな僕にとって偶にしか使わない炊飯器が、キッチンの一部を占領しているという事実はあまり好ましくない。ただでさえ狭い家なのだからスペースは貴重だ。

毎日必ず使うヤカンや鍋にはこんな感情は抱かない。炊飯器を毎日活用する大家族もそんな感情は抱かないだろう。

 

持ち物は「毎日使うもの」か「用途が広いもの」に限ると思っているが、僕にとって炊飯器は「偶に使うもの」で「用途が狭いもの」という訳だ。

 

じゃあどうやってお米を炊くんだ、という話になるが、その点は心配ご無用。日本人は炊飯器で米を炊いていた時代の方がずっと短いのだから。

 

鍋でお米を炊くというとものすごく難しいことであると勘違いしている人もいるが、実はそうでもない

お米を炊くうえで難しいのは火加減の調整なのだが、ガスコンロやIHヒーターがあれば火加減の調整はほぼ無問題だ。林間学校の焚き火で炊飯した時の失敗経験をお持ちの方がいるかもしれないが、ガスコンロでやれば大して難しいことではない。何より味もおいしく炊ける。

 

鍋でお米を炊くことのメリットは二つ。美味しく炊けることと、既存の鍋で炊けるのでスペースの節約になるということだ。確かに、炊飯器に比べれば多少手間があるので毎日お米を炊くような家庭には決しておすすめできない。

しかし、その手間も偶にまとめて炊くくらいだったら問題にならないレベルだ。

ぜひ、炊飯器なしの生活を考えてみたらいかがだろうか。